発見サイト「夢一歩塾」 yumeippo.com  梅原陽介
 D『街への思いは、まつづくり』
梅原陽介

 “まちづくり”を考えるにあたり、何をその基とすればいいのか、幾つかの条件が考えられますが一つにはハード、二つにはソフトである事はいうまでもありません。
 
 しかし、今日のそれは、いかにも、人、物、金、至上であって、人が動員出来れば、物が多ければ、金がふんだんに使われてさえいれば、最上の…と考えられているようです。
 
 地域の活性化を考えるイベントにしても多くの場合その第一目的は、人の動員数とされ、その動員数によって算き出される購買高こそがそのイベントの成功不成功を占う鍵とされています。ある時にはゴミの山の高ささえも……。本当にそうなのでしょうか。
 
 そんな時、私は思わず「ロダン」になってしまい頬に手がいってしまいます。
 前述二点が晟大項目である事は事実ですが、その中に「こころ」の問題を取り入れなければ“まちづくり”の息吹である…継続させていく…という大前提が不可能になってきます。
 
 全国あちらこちらにウヨウヨしている得体の知れないボウフラ的えせプロのイペンターにまかせっきりで、出来上がったプランに便乗してドンチャン騒ぎで夜を明かし、気がついてみれば高額の請求書が風にヒラヒラ舞うようではとてもこころある“まちづくり”など出来るものではありません。

 こころあるまちづくりとは、−体なんなのか。
 自分たちが考えるまちづくりとは、まちづくりなのか、町づくりなのか、街づくりなのか、……。 私は“侍(まち)づくり”であると考えています。侍づくり…まつづくり、即ち町を作るということは、そこに生活の基盤を継続しながら時間をかけて築いていくということではないでしょうか。 その曰の為にだけ町を作るのではなく、そこに継続した営みがなければなりません。その営みとは、こころある創造であるべきではないでしょうか。
 
 そして、そのこころある創造とは、相当の時間をかけなければ…と思っています。
 例えば、町並み或いは街並みを作るのであれば、映画村のセットで十分こと足りるわけです。しかし、こころある営みを感じるためには、表現が一昔前になりますが、朝日が上り始めると味噌汁の香りが漂い、トントンと具を刻む音が聞え、雨戸を開け、玄関を開け、「行ってきます」の声が聞え、子供の駆け出す足音とランドセルに付けた鈴の音が響いてくる………、夕方には、沈む夕日に、子供の手を引きながら犬の散歩をするシルエットが浮かび、どこかの路地から「トーフー」」とラッパの音が聞こえてきます。それを合図にでもするかのようにして街燈が点きます。そんな風情あれば…と思っています。
 もちろん、住いや街路そのものがファッションとして生活に取り入れられている今日では、これと同じ風情を設定する事は、不可能に近いことかも知れませんが、こころある創造という点では一致するものがあると思っています。
 
 生活するということは、生きていくということでありますから、生きるためには何が必要なのかを考えてみますと、やはり「愛」ではないでしょうか。しかしながら、愛というものは、盲目的で継続性が無く、危険が多くて苦しくて、そのくせ冒険心をそそり、魅力的で甘美という厄介なものです。その厄介同居人とうまくやらなければ快適な生活空間(こころある営みの創造)の実現は出来ないでしょう。しかし、うまくしたもので愛という同居人には好きという利口な子供があり、この子は、冷静で継続性があり、安心で計画的です。少しばかり、可愛さや面白さが欠けていますが、無くてはならない存在です。
 
 信仰があって門前町が生まれ、信頼があって城下町が生まれ、信用があって商人町が出来上がってきたように そこには、信じるという愛が存在していたわけです。
 
 そんな町づくりを考えながら小さな文庫(13年)を作ったり、民話の発屈をしたり、コンサートを開催したり、紙芝居を作ったり、鮭の放流事業(10年)に取り組んだり、ふるさと花火(7年)を企画したり、モニュメントを建てたり、絵本や物語を出版したり、テレォンサービスをやってみたりしてきました。
 
 一昨年は「どんどこフェスティバル」を行政と多くの市民のみなさんと一緒に企画、現在は10年先の実現を目指して、仁王穣の研究をしています。
 
 しかし、こうすることのすべてがそのままこころある営みの創造につながるものであるとは思っていません。それは、前述したとおりの条件、ハート、ハード、ソフトの積み重ねが無ければならないからです。その積み重ねのことを私は「書いても書いてもへらない鉛筆・Z H F」と呼んでいます。私が一生かかって書いてみてもいっこうに減らないでしょう。ひょっとしたら娘息子の時代にも減らないかも知れません。いやいや、孫の代にも、曾孫の代にも減らないかも知れません。つまり、まちづくりは100年のスパンで考えなけければならない事なのだということなのです。

 「愛」をLOVEと書きます。「…が好き」をLIKEと書きます。生きる、住む、生活するということは「LIVE」と書きます。即ち。「好き…LI…」という計画性と、「愛…VE…」という冒険心とがバランスよく配されることこそが、明日の町づくりである“こころある営みの創造”の基となるのではないでしょうか。
 Like + Love = Live

  ………私、ただいま“侍つづくり”進行形………なのです。
 それでは、前述の取組みについてのいくつかの動機、手法、経過について愚述してみます。
まずは小さな文庫“鮭の子文庫”から、昭和56年秋、綾部市立幼稚園(8園あります)のPTA会長8人に私の友人10人が加わっての出発でした。
 
 この類いの文化活動(私たちは、当文庫のことを文化や奉仕や社会活動であるとは思っていません。あくまでも自巳修練、自已研鎖の場と思っています〉といわれるものの多くには、ややもすればその背景に政治的イデオロギーがあったり、地域エゴ的なものがあったりして、ご本人たちはやる気充分の出発なのですが、熱が入ってくると横槍が入り当事者のみなさんがやる気を削がれ、いつの間にか自然消滅の道を辿っていくという現実があります
 
 それではその現実をどのようにクリヤーすればいいのか?それは………
 
 ここに、発足当時の趣意書の一部をご紹介致します。
 『私たちのこころの糧は、ふるさとを愛することです。人には、その時々のふるさとがありますが、かといってその地にこだわりを持つ必要はありません。綾部を愛することは京都を愛し、京都を愛することは日本を愛し、地球を愛し、人間を愛し、天地自然を愛することだからです。ましてや、ふるさととは地域や物だけをさすのではなく、親や家族や祖先をも含んでいるからなのです。

 私たちが、ふるさとを考えるときおのずから浮かび上がってくるのは、子供の頃の事です。
「うさぎ追いし彼の山、小鮒つりし彼の川………」父親の分厚い胸板と母親の温かく柔らかな乳房でした。しかし、今日の文化文明の進歩?は、それをも否定してしまわねばならないときがあります。
 その時々のふるさとを持ち、その時々を力一杯生きること、これがやがてふるさとを愛することになってくるのです。
 
 私たち自身も学び、体得し、ふるさとを愛する皆さんと一緒になって人間の未来を考えてみたいと思います。行動(おこない〉は、ささやかであっても夢だけは、希いだけは大きく持とう。そのことこそが、子供たちと私たちとの未来への大きな掛け橋となり、こころの絆がより堅く強く結ばれると思うからです。」
 
 こんな思いで始まった文庫の最初の試みは、地元の民話の手づくり紙芝居でした。昔ながらの氷屋の自転車を頂いてきて、お宮さんを作って乗せ、前と後にブルー地に赤と黒と金色で「昔なつかし紙芝居」と印したノポリを立てて、恥かしながらの街角興行でした。
 以来12年、別紙のような活動を続けています。
 
 次に、鮭の放流事業について。今年10周年を迎える当事業には、かの比叡山の荒修行1000日回報ならぬ1000日作戦があります。
 
 実は、この地由良川では、すでに川下の福知山地区で鮭の稚魚の放流が行われており、同水系でしかも僅か10KM余りの間に放流事業を行うことは意味の無いことであるとのことで即時却下。説得するのに1000日、3年間を要したということです。許可になった論点は、福知山地区は、鮭の稚魚放流を産業としてとらえていますが、綾部地区は、文化としての取り組みをしたい。つまり「COME BACK SALMON」のこころを大切にしたい。ふるさとを、故あって旅立って行った子供たちに、ふるさとの息吹を感じさせてやりたい。そして何時の日にかまた、ふるさとの地を踏ませてやりたい。そんな思いが時間こそ掛かりましたが、人のこころを動かし、京都府、綾部市、綾部ロータリークラブ、綾部青年会議所をはじめとして、地域の企業、個人、団体の皆さんのご協力を頂けたものと思っています。
 
 とりわけ、地元の京都新聞、あやべ市民新聞をはじめとした五大紙のマスコミ攻勢は、たいへん心強いものがありました。
 
 今日では、地区4小学校を中心とした卒業記念行事として取り組まれており、地域の河川美化のスローガンとなりつつあるようです。
 
 続いて、「ふるさと花火」のお話をしましょう。「ふるさと花火」これだけ聞けば何処にでもありそうな田舎花火の夜祭りといったところですが当地綾部には、“水無月大祭”という歴史ある花火大会がありまして、古くから近郷近在の人達の夏の風物史のしての評価を受けてきました。
 
 過去に生糸を中心とする蚕業景気に沸きに沸いたこの地は、昭和40年前後迄は日本でも有数の女性の多い町として報じられてきました。
 そのせいでしょう、商店街には、化粧品店、洋品店が他の店種に比較して圧倒的に多くあり、お祭りや休日には街路を埋め尽くしたものです。しかし、その波も遥か彼方に引いて行き、商店街の今日は、平日も休日も悲しいことに南北見通し良好、そんな中で水無大祭も年々元気が無くなり、追い討ちを掛けるようにして危険物の規制が厳しくなって大きなものは出来なくなってしまいました。
 
 そこで負けてなるものかと考えたのが「ふるさと花火」だったのです。
 
 私の友人に お祭り野郎が一人居まして彼を中心に6人で運動を展開しました。その運動とは「尺とり虫」運動といいます。由良川の右岸から左岸にワイヤーロープを引き、それに仕掛けをして、川面に映える大ナイヤガラ初めに点火した花火から最後に川面に沈んだ花火までがあなたの花火です。
 
 川幅は、おおよそ250 M約800尺です。花火の費用は、花火師を引っ張り込んで、大負けに負けて付帯費用の全てを入れて80万円。つまり1尺が1000円、うたい文句は「今年の花火はおもしろい!あなたも花火のスポンサー」。ところがドッコイ、アイディアは良かったのですが、ここでクレーム、付けてきたのは従来の花火大会実行委員会(商工会議所が中心)から……。頼みに頼んで、我慢に我慢で出てきた条件8項目(寄付金集めは、我々よりも先にしてはならない。寄付者が我々と重複してはならない。企業からはいけない。個人名を明すこと。我々の寄付の集金の全てが終了してからにすること。などなどです)一度は諦めましたがなにくそと8項目の条件を全てのみ実行することにしました。
 
 その結果、協賛金募集の日数は、5日間だけでした。しかしその5日間で六人のお祭り野郎は、見事1000口を達成しました。しかも花火が済んだ翌日にもその協賛金は続いたのです。まるで尺取り虫が尺を取って行くかのように……。そして、その年のお客さんの出足は、近年になく上々で久し振りに歓声が上ったというものでした。
 
 そこには、協賛者のすべて芳名を新聞掲裁するというたいへんなアイディアも実行されてこうしてて生れた「ふるさと花火」も今では大会のトリをとっています
 次に本づくりについて記しておきます。
 
 本づくりは、文庫のこれからの課題であると考えています。それは、文庫活動のまとめであると考えているからです。
 
 今までに、350回以上、40000人以上の皆さんと、手作りのお話会や講演会(講師は私)、紙芝居、コンサートなどを行ってきました。しかし、その記録は皆無に近く、記録として残されているのは、放流、コンサートに限られています。私は、講演会などのビデオや録音を禁じてきました。それは、過去の軌跡に身を寄せて感慨に耽っていては、将来に向かって積極的に待つということが出来ないからに他なりません。
 
 前述に、文庫は、奉仕ではなく自己研鐙の場であるとしていますが、それは取りも直さずこのことを意味しているからなのです。
 
 やるだけのことをやってみて、その時点で自分自身を見直してみる、その時自分たちには、何ができるか。大切なのは、何をやってきたかではなく、これから何が出来るのかなのです。その為には、今の自分たちそのものをまとめてみる必要があるからです。
 
 今のところ、「あやべ昔話抄」「先人にこの人あり“波多野鶴吉翁”研究」「もん太とサーちゃんの冒険」
「丹波・丹後のむかしばなし」(印刷物)
「ボタ餅が目ェーむいた」「法事」「かみがない」「どんべえさんの尻捲り」「岡の大女房」「おろちのおおやけど」「こらえてください一本だけ」「六左エ門さん赤〜買いな」「手水と庄屋」(手作り)
カセット50噺し( NTTテレフォンサービス)
「じごくのそうくえ」「万灯流し」「法事」「おろちのおおやけど」「かみがない」「いつぼんだけです」「ドンベえさんの尻まくり」「ぽってんくぅー」他(紙芝居)
「ペンギン物語ぴー」「ロクと弥九郎狼」「友達」「こんこん山の金色さま」(創作未発表)があります。
 最後に、待つづくりの待つについて述べておきます。
 
 待つということの意味合いには、様々なものが考えられます。例えば、行政の援助を待つ、企業の協賛を待つ(、大衆の支持を待つなどはその代表的なものですが、私たちのいう“待つ”とは、自分自身を待っているの“待つ”であろうかと思います。
 
 ついこの間まで、メセナ、メセナとなびいていました。バブルが弾けてメセナのメの字も聞きません。何故なんでしょう?
 
 行政のいうメセナとは、いまや人気とりの為。企業のメセナとは、企業のイメーヂアップの手法にしか過ぎなかったのでしょうか。選挙の為の政治が行われ、私的利益追及の為だけの経営がはびこってしまったのでしょうか。
 
 本来のメセナとは、人気取りであったり、お金が余っているから、といったものではなくその時々のメセナの在り方があります。それは規模の大きさではなく、こころの在り方であり、そこにこそ“こころある営みの創造を見い出すことが出来るのだと思います。
 
 こんな時こそ待たなければなりません。待つということは、確信が無ければ待てません。
根拠が無ければ待てません。そして、愛が無ければ待てません。考えて見てください、あなたの愛する人を待つときに、あなたは、10分で帰りますか、30分で帰りますか、確信があればあるほど、根拠があればあるほど、愛が深ければ深いほど、あなたは待つでしょう。1時間でも、2時間でもその場を立ち去ることを忘れたかのようにして…………。
 
 あなたは待つはずです。

 最近こんな記述を見ました。『この町には無駄がない。そして汚れがない。だから生活感に乏しい。ちょっと遊ぶには心地よいが、長く滞在するには少々息苦しい気もする。
ここを出て佐世保駅前のネオン街を見たとき、正直なところホッとした。無秩序で授雑かもしれないが、そこにムンムンと漂う様々な人間の体臭が妙に懐かしかった。
残念ながらハウステンポスは、今はまだ「遊びに行きたい」町。「住みたい」町には、ほど遠い…云々』とありました。

 日本で最も日本らしい町といわれる千年の都「京都」は、唐の都「長安」をモデルにして造られたといいます。オランダの「森の家」ハウステンボスの千年後は……いかに。
2005.10
中心市街地活性化基本計画策定委員会(於・報告書)
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